V61995ken’s diary

そこら辺の大学生の日記です

世界の誰よりも愛するから~ラブハズネバゴンベイべ~

11月1日を前に自分とV6の思い出を振り返りたいと思って書き始めました。

 

そう。ただの自己満足。

そして私は古参なわけでもなく、2018年からの新規。

26年のうちでたった3年。応援できていた時間はほんの一瞬だったかもしれない。

でも、たったその3年はかけがえのない、私の大切な思い出だと断言できる。

 

そしてその短い3年だけどV6がいたから今の私がいるんだといえるくらい彼らは私の人生に欠かせない存在である。

V6にハマる前

嵐担の私にとってV6を始めて認識したのは2013年に健くんがプラスワンでVS嵐に登場したときのこと。

相葉くん強火担の私(当時中学生)にとって、「相葉のこと覚えてなーい」と言い放つ健くんは敵だった(ごめんなさい)。

自由奔放すぎるし、誰より子供な健くん。第一印象は最悪

といいつつも、その後もプラスワンとして登場して、「健ちゃん!」と呼ぶ無邪気な相葉くんと「なんだよ~」といいつつ優しい健くんのことが好きになっていた。

そして坂本くんが寄せる「坂本メモ」や、嵐と仲が良いV6のわちゃわちゃ、大野岡田どっちが先輩問題が好きで、V6のことを素敵な嵐の先輩、と気づいたら認識していた。

 

でもまあこの時点では茶の間ファンにすぎず。音楽番組に出てれば見るけど積極的に見るわけではなかった。でも実家帰ったら、編集済みの音楽番組の中に2014のスカリミ残ってた。びっくり。

 

あと謎に「刹那的Night」をМステでリアタイしてたし、健くんが五代さんにやらかした紅白も覚えてる。ハマっとけよこの時に!!!!!!!!!!

2018年

いわゆる00lineの私はこの時受験生。現実逃避したかったのか、そしてまったくもって謎すぎて自分でもわからないのだけど高校3年生の初め、あるときV6の神が下りてくる。

 

「V6ってバカかっこよくね?????????」

 

なぜ気づいたこのときに。次の日、友達に「私V6にハマったわ。」と謎の宣言したのも覚えてる。

ひたすら過去の音楽番組に残っているV6を漁り、ネットやら何やらでV6の情報を探し、長いバス通学の時間はV6の情報検索の時間となった。

そしてそのころちょうど「Crazy Rays/ KEEP GOING」が発売。

youtu.be

youtu.be

クレレイのおしゃれさとキプゴの健くんの" Feel the rhythm comes up"にやられた。キャメルウォークという言葉を覚えた。

 

情報検索の中で見つけた、「ドリフェスのfAKEがどうもやばいらしい」という情報。

ジャニオタ歴8年。欲しいと思ったらすぐ行動。速攻中古で手に入れた、前年の「The ONES」。

大きなドームでド派手演出する嵐の演出に見慣れていた私は、あんなに小さな会場でレーザービュンビュン飛ばして、ちっとも箱の小ささを感じさせないV6の演出のやばさにしびれた。

そしてfAKE。初めて聞いたこの曲のカッコよさに夢中になった。嵐と仲のいいほんわかした先輩たちじゃなかった。めちゃくちゃかっこいいアイドルがそこにいた。

 

やっぱV6ってやべええええええええええ!

 

そしたらKEN☆Tackeyが結成されて「逆転ラバーズ」がでた。

”受験生、ほかに金使うところなくね????”

VRがやばいらしい、と情報を得て親に3形態買ってきてもらった。(自分のお金で払ったけど)

今までケチってシングルも買ってこなかった私が初めて3形態そろえたのが「逆ラバ」だった。

塾から帰って、寝る前にVRで「やばーい、健くんが目の前にいるよ~~~!」って親にキャッキャ騒いでた。

 

そんなこんなでV6に受験と並行しながら沼っていった私だけど、問題は私の住んでいるところだった。私の実家は静岡でアメジパは映らないし、健くんのラジオも聴けない。

 

もともと東京にはいきたかったけど、でもよりいっそういくしかないと思えた。

「東京に行ってもっとV6のオタクをしたい。」

そして

「2年に1度のペースでコンサートやるなら(結局なかったけど)2019年あるはずだから現役で受かるしかない!!!!!」

 

そしてFCは自分のお金で、というのが親との約束だったから高校生の私は嵐のFCの年会費を払うのでやっと。

絶対に受験終わったらV6のFC入る!!!!

 

正直、志望校は自分の成績では結構厳しくて受験期は結構病んだ。なかなか成績が伸びなかったり、判定もD判定ばかりだったり。何度も諦めようと思ったし、志望校を変えようとしたことも数えきれない。全然できるようにならなくて塾でつい泣き出しちゃったこともある。

 

だけどどうしても東京に行きたかった。何としてでも現役で受からなきゃV6のオタクができない。

ハ二ビとかスピリットとかV6の楽曲をウォークマンで聴いて必死に勉強した。

 

でも駅から学校までGet Naked歌いながらチャリ漕いでたのはなかなか狂ってた。

 

誕生日近くの時期で、健くんの舞台が決まって、いけないことを恨めしく思いながらも雑誌の表紙ラッシュに沸き散らかしてた。ジャニオタでもない友達に健くんの表紙の雑誌を誕プレで買わせた。(あの子へ。最低な友達でごめんなさい。そしてありがとう。)

 

そしてその時はオンラインなんてなかったからグッズのアクスタが買えなくてメル〇リの出品画面を恨めしくバスに揺られながら眺めてた。

 

冬になって健くんが突如金髪にして心臓に悪かった。

「王子か??????????????」

ひたすら金髪健くんが受験勉強のご褒美だった。バズリズムで金髪ビジュでRight Now歌ったのは永久保存版過ぎて実家帰るたびに未だに何度も見てる。スパパワ歌うV6を拝むのが受験真っただ中の私の楽しみだった。

 

あとこっそり健タキ紅白狙ってた。

2019年

カウコンを録画してセンター模試に行く前に1日の朝ご飯を食べながら見た2019年。

 

2月の受験はわざと遅い新幹線を予約して、右も左もわからない東京の電車を乗り継いで、田舎のちんちくりん高校生は一人、閉店ぎりぎりで原宿のジャニショに向かった。

帰りの新幹線はずっと我慢してきたV6の写真買いまくってほくほくしてた。

 

合格発表前日は怖すぎて、寝たくなさ過ぎて、「滝沢歌舞伎2018」を夜中の3時まで見てた。おかげで起きたのは発表の10時を1時間過ぎた11時。

 

そのおかげか?何とか受かってた私。めでたく東京行きが確定した。

すぐにV6のFCに入った。

 

夢のV6ライフ!と言わんばかりに、春休みは受験期にお守り代わりに中古で()手に入れたものの、受験終わるまで見ない!と決めて机の引き出しにしまい込んでいた、フォエバコンとワンズコンを見まくった。

あと春休み、1年以上ぶりのカラオケで念願のクレレイを歌った。友達に「聞いたことあるこの曲!」って言われご機嫌だった。

 

そして#春から○○大 で大学垢をTwitterで作り、「V6好きな人いませんか…?」とつぶやいた。高校生の時はV6のファンがおらず、事務所担みたいな子とV6の話をしていた私。大学でV6好きな子いたらいいなと期待していた。

 

そしたら釣れた(言い方)。

 

ひたすらDMでV6の話をして盛り上がった。初めて出会えた,V6が好きな友達。右も左もわからない場所で、心細かった私に初めてできた大学の友達。

 

長野担のその子は同じ学部で、今も仲の良い素敵な、自慢したい友達。一緒に授業を受けたり、その年のファブルを見に行ったりした。

もしV6という共通点がなかったら友達になれていなかったかもしれない。

この子とV6のライブに行くこと。大学に入ってできた小さな夢だった。

 

あと、上京して買った自分だけのテレビで、番組表でアメジパを見つけたとき本当にうれしかった。多分一番最初に録画した。しょうもないことかもしれなくても、東京来てよかったーと思った。

bayfmも聴けるようになって、健ラヂをやっと聴けた。今よりなんかテンション低め?だった健くんのラジオ。

「愛なんだ」の観覧も応募してみたけどダメだった。でも、応募できることだけでもうれしかった。

そしてテレ東が映らなくて前年はV6を観られなかったけど、テレ東音楽祭を録画できたことも小さな喜びだった。

 

あとはバイトして自分でお金を稼げるようになって、ずっとほしかったOMGの円盤を買った。自分のお金で少しずつV6のグッズを買えるのがうれしかった。

年末の話になっちゃうけれど、Mステで健くんがある願で「I love you」の手話をやってくれたのが謎に記憶に残ってる。

そしてトニセンのディナーショーがあったけど45000円で、長野担の子と「さすがに無理だね~」って苦笑いしたのも記憶に残ってる。

どうでもいいことばっか覚えてる私、井ノ原病か?

2020年

コロナになってハピライがあった。

サムネ?で事前に健くん前髪あるくね??????となって狂喜乱舞した。

いきなりFull Circle披露されて「何このかっこいい曲?え、私が知らないだけ?」ってめちゃくちゃ焦ったら新曲だった。

めちゃめちゃ張り切って踊ってたよね~~といじられてた健くん。

 

そしてこのころ、にこ健が毎日更新されて、イノなきが復活した。

何ら変わりもない単調な毎日の中で小さな楽しみをくれた。

 

そしてイツマイのとき、毎週クイズが出た。必死にYouTubeのMVを確認して答えてた。

 

25周年という記念すべき年にライブやらないのかなとやきもきしてたら突如と決まったトニフィフ。ようやくV6のグッズをリアルタイムで手に入れられた。

11/1は長野担の友達と一緒に配信ライブを見た。やっとかなった初参戦。

たった1日のために作られた豪華なセットと夢中にさせる演出に、V6やっぱ好きだな~と思った日。長野君が水筒に沈められた日。

 

そして健くんの舞台が年明けにあることが分かったとき、やっと会えるかもしれないチャンスに胸が躍った。

当落はとても怖かったけど、当たってるとわかったとき一緒にいた友達の前で飛び跳ねてた。2021年の楽しみができたと思った。

2021年

初めて健くんを生で見ることのできた2月。当落が出た瞬間から嬉しくて、登場した瞬間に泣きかけた。端っこの、決して近いとは言えなかったけれど、高3の時から恋焦がれた人にやっと出会えた。直接健くんを見て、直接健くんの声を聴くことが叶って、本当にうれしかった。コロナになってからの初めての現場で、初めての舞台が健くんだった。

 

次は6人に、ライブで輝く6人に会ってペンラを振り回す。

藪原検校の帰り、代々木まで歩いてそう思った。

 

 

 

そして忘れもしない3月12日。世界から色がなくなる、頭が真っ白になるってこのことなんだと思った。

 

大げさかもしれなくても世間から取り残された気しかしなかった。2日に1回は夜1人でV6を観ながら泣いた。

 

3月の終わり、長野担の友達と一緒に鑑賞会やってV6のライブ絶対行こうねと誓った。そしてやっぱりV6は最高だって思った。

 

「僕らは まだ」が発売されてピノのCMが決まった。

ちょっとずつ情報が小出しされてて、長野担の友達(何度も登場)と対面授業が被ったから毎回V6の新情報を共有し合うのが小さな楽しみだった。ピノかわいいね、とかMVやばかったね、とか。

他愛のない時間だったけど楽しかった。

 

でも6月になっても、6/26を過ぎても一向にV6のライブ情報は解禁されなくて、コロナも収まる気配がなくて、もしかしたらこのまま配信ライブしかやらないのかもしれない。このまま6人に一度も会えないまま終わってしまうのかもしれない。

ずっとやきもきしてずっとずっと毎日メールを確認して毎日ションボリして。

 

7月18日のにこ健で匂わせられたとき、とうとう!と思って、文字通りピョンピョン飛び跳ねた。翌日12時になっても18時になってもライブ情報は出なくて落ち込んで、見事三宅健の策略にハマったわけだけど、21時に情報解禁されて長いジャニオタ人生で、現場が決まっただけであんなにうれしかったのは後にも先にもこの時が一番なんじゃないかと思う。

 

そこからは怒涛のようにいろんなものが押し寄せて、皮肉なのか何なのかV6にハマってから一番供給が多かった。

 

最初で最後のライブを申し込み、やっとアルバムを初めて予約できた。

ありとあらゆる番組にV6が出るたびににやにやして喜んで。

 

そしてSTEPが発売される前。1年生から同じフロアに住んでいる寮の友達が9月上旬から留学に行くことになっていた。Tempalayが好きなその子とその子の部屋で「三宅健のラヂオ」で初公開された「分からないだらけ」を聴いた。Tempalayっぽい世界観があって好きだと言ってくれた。留学に行く前に小さな思い出ができた。

 

その後、何とか参戦できたV6groove。V6が登場した瞬間、自然と泣けてきた。

ただただかっこよくて、テレビで見てた何倍もずっとずっとキラキラしていた。

もちろん大好きな長野担と一緒に行った。夢をかなえてくれてありがとうと心から思った。

 

ああV6に出会えてよかったって。何度もライブで泣いた。今までライブで泣いたことなんてなかったのに。

 

10月に入ってたくさんV6が音楽番組に出演して、嬉しいのにほとんど毎回泣いた。

 

バカみたいにV6のことばっか考えて、3月で発表されてからV6のために!と思ってバイトと授業を詰めまくったのも、ライブ決まって当落も出てないのにダイエットしよ!ってジョギングしたことも、ひたすら神社でお祈りしたのもこの2021年だった。

 

そして本日、V6のデビュー記念日である11月1日がやってきた。

 

 

私が追っかけられたのはたった3年で、しかも露出が多いとは言えないV6。でもここには書ききれていない思い出もまだまだたくさんある。

 

全部ちっぽけな思い出かもしれないけど、古参の方とは比べ物にならないかもしれないけれど、かけがえのない思い出だ。

 

V6に出会わなければ、東京に行って第一志望に受かることもできなかったかもしれないし、大好きな友達に出会うこともできなかったかもしれない。

 

その意味でやっぱりV6は私の人生に欠かせないしたくさん助けてくれた。

 

短い時間でも私はとっても幸せだった。たくさんたくさん楽しい思い出をありがとう。

 

恥ずかしいこともクサいこともすべて承知で言うのなら、きっと彼らは望まないだろうけれど、間違いなくV6の6人は私にとってはヒーローで、王子様です。

 

こんな私と出会ってくれてありがとう。